THE FICTION INSIDE YOU

寺村利規

2011/11/26[土] - 2011/12/29[木]
Reception; 2011/11/26[土] 18:00
MORI YU GALLERY KYOTO

THE FICTION INSIDE YOU : �ʐ^1
THE FICTION INSIDE YOU : �ʐ^2
THE FICTION INSIDE YOU : �ʐ^3
THE FICTION INSIDE YOU : �ʐ^4

映画『戦場でワルツを』の中に記憶に関する実験シーンが登場する。被験者に子供の時の写真を10枚見せ、9枚は本物を、1枚だけ を偽の写真(移動遊園地の風景に本人をはめ込んだ合成写真)を見せる。8割の人は何も疑わずその遊園地へ行ったと話し、2割は 記憶にないと答えるが「本当に?よく思い出して」と聞くと「思い出した」と答えるという。人間は記憶を捏造する。我々の記憶のな かにも、作られた記憶、また小説や映画の登場人物に感情移入して同調した感覚や感情を、自分のものだと思い込んでいることがあ るのではないだろうか。リアリティの中に既にフィクションが紛れ込んでしまっている。 恐ろしいことだが、アニメの登場人物の思考を無意識に模倣してしまう若者が現に存在することを考えるとこれはどうも真実に近い。
寺村は、写真をもとにして写実的な映画のワンシーンのような絵画を描く。まったりとした、不透明な空気感を際立たせた印象深い 絵画だ。ただここで語る絵画とはそもそもなんであろうか。芸術が有限である虚(フィクション)という形式の中に、無限である実(リア リティ)という体験をうつしこむことであるように、絵画は三次元のリアリティを二次元というフィクションに落とし込むものである。 であるならばモダニズムの問題は別にせよ、絵画はすべてフィクションとなるのだろうか。
寺村は、コンピューターで検索したフリーの写真や自ら撮った写真など、すなわちリアリティを題材にする。寺村の絵画をみた鑑賞 者の多くは、その登場人物がどうしても誰かに似ているように思えてならないと語る。寺村の絵画には私も同様の感覚を覚えるのだ。
50年ほど前には、ウォーホルが、キャンベルスープ缶という記号的に繋がるロゴとして、リアリティという外部をキャンヴァスの中に 直接的に堂々と復権させた。寺村の意識はそれに近いものがあろう。ただ、寺村の絵画にはインターネットなどに氾濫する写真の既視 感を既に纏っているという意味でのリアリティ回帰というロゴではなく、ロゴというリアリティの記号、その背後に潜む不気味なもの
(unheimlich)を想起させるフィクションが既に常に存在しているようにおもえるのだ。これはウォーホル以前への退行ではない。 Fictionは、factと同様にfacare(to make)というラテン語の語源をもつ。このことが示すように、現実と記憶のあいだ、またリアリティ という実の世界、写真、絵画、フィクションという虚の世界、それぞれの世界と世界の間は、『草枕』の主人公が語る偶然開けた小説の 一頁のように、連続しつつ、断絶し、また断絶しつつ、連続しているに違いない。
フィクションとリアリティの差異が量的なものであると示す寺村の絵画は、『戦場でワルツを』のように1枚だけが本物でないのでは なく、すべてが虚と実の綯い交ぜの作品群として、鑑賞者にこの差異の問題を提起してくる。ウォーホルの時代にはありえなかった社会 がつくりだした現代の「フィクション」に対し、我々は、ややもすれば我々が記憶しているリアリティ以上の懐かしさを感じさせられてしま っているのかもしれない。寺村の作品はそうとさえいっているようだ。はたして鑑賞者はそこになにを感じるのであろうか。