砂漠よりのあか、潮よりのみどり

塩崎優

2013/06/21[金] - 2013/07/18[木]
Reception; 2013/06/21[金] 18:00-
MORI YU GALLERY KYOTO

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「寝そべって地面をみていると、
雲の流れに従って太陽の光が強まったり弱まったりして色がかわる。
その理由がどこからくるのかつきとめられず、
あらぬ方向に目を凝らしていた。」    塩崎優

塩崎の絵画には、人や風景などが様々な筆致により美しい色とともに
描かれている。
しかし描かれているイメージはすぐには判然とせず、
やや時間をおいて鑑賞者の前に姿をみせだすのだが、
捉えようとするとふっと流れてしまう。
そしてまたイメージはこちらへやってきては再び消えそうになりつつも、徐々にその本来の姿をみせはじめるのだ。
塩崎の絵画は見るたびに変容していく。
それはイメージがそうさせているのか、多くの色が関わっているのか。

 かのデュビュッフェは、色というものはなく、色を持った物質があるだけだと述べた。
「みどりの数だけ弾力がある。一つは空に吸い込まれ、
一つは地面に降りてきた 」。
塩崎が語るように、筆致の集積こそが色を生み、イメージを生み、
弾力のあるイリュージョンを生みだすのだ。
描かれている塩崎のイメージには別の揺蕩うなにかが付随している。
塩崎の画面全体をふと眺めると、
どこか茫洋とした海のような原風景がみえてくる。
そこにはあるイメージを支えるものとして、
海水の影の如き波のようなものがある。
印象派は影もまた色であることを示した。
しかし、塩崎の筆致はそれに比して自由であり、
物質を海水を引き連れ、色を生む。
そして色は揺蕩う...色の背後に潜む塩崎特有の筆致...波...色は
それでこそ色たり得ている。
そして塩崎の作品の抱え持つ茫洋さが徐々に鑑賞者の眼前に広がり出すにちがいない。

「誰かに何かを伝える術を持たない、
意味をなさない感覚にも呼応したいと思っている」

皆様どうぞご高覧ください。