トークイベント

2014/06/29[日] - 2014/06/29[日]
Reception; 2014/06/29[日]
MORI YU GALLERY TOKYO

トークイベント : �ʐ^1

2014.6.29 [日] 17:00 -


内容

●トーク
「NOISEとは何か ~アートの条件と特異点~」

● 河合政之(ヴィデオアーティスト) × 角尾宣信(映像哲学者)× 原島大輔(思想家)× 森裕一(MORI YU GALLERY)

作品上映、プレゼンテーションあり



※参加費無料、予約不要



アート(映像あるいは絵画)におけるNOISE(ノイズ/ノワズ)的なものについて考え、ディスカッションをおこなうこのレクチャーシリーズ。前回は、その古典的作品からの系譜をたどった。今回は、MORI YU GALLERY の作家である黒田アキ、河合政之らの作品をめぐって、気鋭の若手理論家たちをまじえ、アートの表面ではなく深い本質にたちあらわれるNOISEについて討議する。




ノイズという思想――秩序と意義に決別するために

「傑作は雑音を発し、呼びかけることを止めない。この母胎にはすべてがある。母胎には何も存在しない、それはすべすべしているということができる。それは渾沌だということができる、薄片状に水が落ちる滝、あるいは嵐の雲の動き、雑踏であるということができる。現象と名づけられるもの、つまり秘密から引き出された変幻者の変身だけが知られるのであり、知りうるのである。それらはノワズゥな海から浮上する。目に見え美しいのは乱雑な絵なのだ」(ミシェル・セール『生成――概念をこえる試み』及川馥訳より)

ここでとりあげるノイズは、「シグナル」に対立するものとして、コミュニケーションから排除するべきとされる「ノイズ」ではない。むしろノイズこそは、生成の可能性である。ノイズは乱流となり、乱流の中に波動があらわれ、波動は反復し、そうした反復が結果として冗長な秩序と意義を生み出すのである。

だがこのようなノイズそのものへと目を向けることは、容易いことではない。そこは一見、渾沌と危険に満ちているからだ。そしてそのような流れの川上へとさかのぼるよりは、すでにできあがった秩序と意義に安住し、その母胎であるノイズを忘却した方がはるかに楽なのだ。そしてカッコに入れた「ノイズ」を馴致し、それを取り込んで意義と秩序の充実化をはかる方が、現代では好まれるのである。

だが私たちがここでおこなおうとしているのは、このような秩序と意義に与することなく、カッコに入れられないノイズそのものを見つめてきた芸術のあり方を発見することである。もちろんノイズは、そのものとしては語ることができない。だがそうだからこそ、それは可能性のもっとも初源的な、切り立った場における思想であるともいえるだろう。私たちは、秩序と意義の「わかりやすさ」にあくまで逃げ込むことなく、この可能性の奔流の中へと乗り出していくことを選ぶのである。
                                                        河合政之