歴史ハッカー

片野まん

2011/09/03[土] - 2011/10/01[土]
Reception; 2011/09/03[土] 18:00
MORI YU GALLERY TOKYO

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「自分の作品はいわゆる絵画や絵画史的文脈とは違う」と片野は断言します。
では、どう違うのか。片野は「技量が未熟なものをもって絵画としてはならない」とも語ります。
膨大な情報量をいとも容易く一枚の画面に収める片野の「技量」は一種暴力的でもあり、同時に非常に理知的でもあります。
彼のアイロニカルな表現や歴史上の出来事は、日常の平凡な出来事と重なり、ときには漫画の如く、コマ割りされることで、
重層的な画面を構成します。片野の一種表現主義的な筆致をみればわかるように、彼の語る技量とは細かな筆致や構成などをさしているのではありません。
そうしたことは却って近代日本的悲壮感を感じさせるものである、と片野は考えます。
最近顕著なただ細かい表現ばかりが目に付く風潮から距離を置く片野。
もちろん片野自身が細かい筆致を使用する場合もありますが、それはただ細かいだけの具象的表現とは異なり、「反射」的に描かれるらしいのです。
この「反射」というのはなんなのか…
日本的なるものと対局にある、いわゆる西洋中心の現代美術の文脈への片野のアンチテーゼは、容易いジャポニスムとは全く異なる方法論で考えられている
のです。片野の示す「技量」、「反射」とは、外にある『絵画』という圧倒的なものに対抗する手段です。
外とはなにか。それは日本以外の外であり、片野満そのものの外である。そしてそれはまた美術史をつくってきたものそのものでもあります。
そうした歴史を塗り替える、いや、そんな大それたことではなく、確実に過去からそこにあった「日本的なるもの」を浮き彫りにすることが、重要なのです。

何を描くのかではなく、どのように描くかが重要であると片野は語ります。
表現主義的にではなく、歴史をハッキングするかのように、内に秘められてきた潜在的なるものをどのように暴きだすのか、歴史ハッカー‼片野満。
日本を住処にして4年、彼がまたヨーロッパのどこかの国に行ってしまわないように、、、、
どうぞ、片野まん個展をご高覧下さい。