夢を見ない午後…

玉ノ井哲哉

2009/11/18[水] - 2009/12/26[土]
Reception; 2009/11/18[水] 18:00
MORI YU GALLERY KYOTO

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『夢を見ない午後・・・』展
「mono ロリータとしての定義と深層表現」
 幼少時の経験、趣向等が無意識に今の自分に反映されてしまっていることはとても多いでしょう。無意識なるも
のがいつの間にか自分を形成し、成人した今でも趣向の根幹を担う。
積み重ねこそが人間の形成材料であり、とりわけ幼少時の記憶が選択の決定に作用し、影響を与えているのです。
ハンバーグやカレーなど、子供の時に好きな物がそのまま大人になっても好きであり続ける、と言うような事でも表
現出来るでしょう。
 趣味趣向の根源にあるものとして、小さい頃から見てきたアニメ、玩具、雑貨などをセレクトしインプット&アウトプッ
トする時に自然と出てくるカワイイmono への執着。
「カワイイ」、「幼少時からの味覚の記憶」という2 つのキーワードから紡ぎ出されてくる『スイーツ』。
周りにあるmonoに対する幼児趣向的意識を『mono ロリータ』として定義し、スイーツというモチーフをベースに深層意
識を具現化し表現するということが今回の展覧会の意図するところでもあるのです。
 「1970、80 年代のアメリカのTV や映画」が作者に与えた影響は絶大でした。その中でも「現実的な中に非現実的
なことが当たり前のように描かれている」綯い交ぜの世界観に強く引かれ、現実と非現実の狭間に共感する作者の趣向は、
「かわいい」と「残酷さ」という、現実と非現実的な相反するような要素を結んでいきます。
かわいいのに残酷・・・、その象徴的な存在としての子供が作品に描かれています。
「かわいい」と「残酷さ」。大人の中の子供。子供の中の大人。現実と非現実。
それを、記憶という出来事「koto」から物質「mono」へ結晶化させるため、作者は立体と写真という表現手段を用いたのです。
これは生と死の究極の二項対立への問いの投げかけでもあって、作品を前にした我々が一瞬かわいい、と判断した先に、
ふと見え隠れする残酷さや、鏡のごとく反転してみえてくる自己の欲望、そして幼かったはずのじぶんが死へと直線
的にむかっているという恐れに直面することにもなります。
ただ、そこには作品とは自らの墓をつくるようなものであると、あるフランス人が語ったような、死への
畏怖とともにある潔さ、まっすぐに向き合う姿勢や、希望といったものも感じられるはずです。
チョコレートの巨大なオブジェが、あたかも壁のように、また墓碑のようにも見えてくる不思議さ・・・「かわいい」
と「残酷さ」、生と死の抵抗を溶かしうるかのような奇妙な明るさをもって我々に迫ってくる印象は、今までになかっ
た余韻を残してくれるのではないでしょうか。